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 佐渡おけさ縁起

港で栄えた佐渡には、船乗りたちの良い唄がたくさん残されていますが、
その代表といえばやはり『佐渡おけさ』でしょう。

リズミカルで力強くありながら、どこかしら哀愁を漂わせる佐渡おけさは、まさに佐渡の気質そのもの。

佐渡おけさのルーツは、北前船で九州から運ばれたハイヤ節であると言われています。
江戸時代半ば、小木の港へ伝わり、鉱山のまち・相川へも伝わりました。
そこの選鉱場で作業唄として歌われるようになったのです。

現在の佐渡おけさは、かつて「相川おけさ」とも呼ばれていたそうです。
昭和4年7月、NHKラヂオ愛宕山放送局からこの曲を放送するにあたって、
「相川おけさ」では知名度の点でイマイチということになり、
佐渡おけさ」と呼んだ、とのこと。

十返舎一九が書いたあの「膝栗毛」(弥治さん喜多さんの)にも、
おけさについて書かれた部分があるそうです。

明治期には書生節でおけさが唄われました。
大正10年、第2回全国民謡大会でもおけさ節は好評を博します。
新穂の芸妓が佐渡おけさをレコードに吹き込み、おおいに売れたのもこの頃です。

そしてなんと驚くことに、大正12年佐渡新聞を通じて佐渡おけさの新作歌詞を全国から募集していました。 佐渡おけさが過去の伝統芸能としてではなく、生きて唄い継がれている唄だということでしょう。

その時入選した歌詞

♪佐渡へ八里のさざ波越えて 鐘が聞こゆる寺泊

今でもお祭りなどで耳にします。


佐渡が生んだ日本民謡界の巨星、村田文三(むらたぶんぞう1882-1956)が吹き込んだ佐渡おけさを聴いてみました。
※平成18年12月復刻版がCDで発売されました。

録音されたのは大正15年(から昭和28年)頃。いまから80年も前のものです。
当時はマイクでなく、ラッパのような集音器にむかっての収録だったようです。

芯が強そうな、聞き飽きのしない声でした。
文三は、胸の厚い、岩のようなガッチリした体格。二十四貫(90Kg)もあったそう。

昭和2年、作曲家山田耕作とテノール歌手の藤原義江が新潟に来た際には、村田文三の佐渡おけさを生で聴いています。
日本民謡界の巨星の唄に、世界の名テノールは何を思ったでしょうね。
(藤原義江は、アメリカのバンドをバックに佐渡おけさのジャズバージョンを残しています)

村田文三らによる演奏旅行や同好者たちによるおけさや音頭などの宣伝キャラバン隊は、国内はもとより、 樺太、大連、香港、韓国、台湾へと精力的に行脚を続けたのでした。
※立浪会史を参照させていただきました。


佐渡本舗でも佐渡おけさの作詞をしてみました。

♪ひとよほすなら 身もちぢむのに 焼いてのしたる そはいかに

いかが?


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